キャリアの始まりは18才。1988年にはTurn Off the
Lightsのヒットを生むが、同年には既にEasy-EやIce
Cubeらと共に結成していたN.W.A.のStraight Outta
Comptonが大ヒット。92年、レーベルDeath Rowの設立の為にSuge
Knightに誘われ、それをきっかけにN.W.Aを脱退する。1992年に伝説の12"シングルDeep
Coverをリリース、弟のウォーレン・Gの紹介で知り合った才能・Snoop
Doggと共に衝撃的なデビューを飾り、同年にリリースされたアルバムThe
Chronicは最大のヒットシングルNuthin' but a 'G'
Thang等の傑作を収録し、300万枚を超す大ヒットとなる。'96年の2PacのアルバムAll Eyez on
Meを最後にDeath
Rowから脱退。その後自らのレーベルAftermathを設立し、Xzibit、Eminem、Mary J.
Bligeなどをプロデュースし、現在も複数のプロジェクトを進行中。
主にテネシー州メンフィスを拠点に活動しており、サウスのN.W.Aとも称される過激な歌詞が特徴の1つ。94年に設立した彼らのレーベルHypnotize
Minds。メンバーはDJ Paul,Juicy J,Lord
Infamousによって結成される。程なくしてKoopsta Knicca、Gangsta Boo、Crnchy
Blackが加入(3人とも現在は脱退)。名前の由来は獣の数字とされる666からきていて90年代の彼らのリリックの内容は悪魔崇拝的なものから激しい暴力表現が含まれている。2005年に映画ハッスル&フロウの主題歌「It's
Hard Out Here for a
Pimp」でアフリカ系アメリカングループとして初めてアカデミー賞を受賞した。
従来のHIPHOPビートよりもピッチの遅い、細かく刻む独特の電子音使いのサウンドに、自らのダミ声シャウトを轟かせ、とにかくフロアを踊らせるそのスタイルはサウス・サウンドを代表するものに発展。これを自らCrunkと名づけ、これみよがしなジュエリー、アクセサリーをぶら下げた「ブリン・ブリン」なファッションでも知られる、常に話題の絶えない男。 Lil
John & EAST SIDE
BOYZ名義でもアルバムをリリースしたり、UsherやCiaraなどをプロデュースし大ヒットを記録している。
マイアミを拠点に活動するラッパー、トリック・ダディ(Trick
Daddy)やリック・ロス(Rick Ross)、さらにDJカレド(DJ
Khaled)の作品に参加して名を上げ、2007年、T-ペイン(T-Pain)が客演とプロデュースを務めたシングル"Low"が大ヒットとなった。2008年には同曲を含み、豪華ゲストを迎えたデビューアルバム"Mail
on Sunday"をAtlanticからリリース。シングル"in the
Ayer"などもヒットし、一気に人気スターの座を獲得。きさくな人柄で、来日時にも鼠先輩とコラボレートするなど、これまでのラップスタートは一味違ったキャラクターを見せている。
1978年クィーンズはサウスジャマイカ出身。実際にドラッグディーラーとして生き延びていた10代、牢に収監されるよりRapに傾倒することを選んだ彼の人生は、Run
DMCのJam Master Jayにその才覚を見出され、Track
Mastersに出会ったところから加速度を増す。しかしシングルをリリースした直後何者かに襲撃を受け、瀕死の重体に。それからの50はアンダーグラウンドに戻り、現G
Unitのメンバーと共に再びアピールし始める。それからの彼の快進撃はと言えば、映画"8
Mile"のサントラ用に録音された"Wankasta"のブレイクから始まり、アルバムのリードシングルでドクター・ドレ(Dr.
Dre)プロデュースの"In Da Club"がリリースされるや空前の大ヒットになるなどGet
Rich or Die Tryin'"への舞台は用意された。
Young
Jeezyとの対立や2005年のヒット曲"Icy"で知られる、アトランタをベースに活動するラッパー。アリゾナ州バーミンガム出身、早くからラッパーを志し、14歳で既にレコーディングを行っていたというGucci
Mane。2008年には保護観察規定違反で服役を余儀なくされ、2009年に出所。それと同時にミックステープ"Writing
on the
Wall"を発表し、その人気がさらに拡大。本人の意図とは無関係にリリースされたというインディアルバム"Murder
Was the Case"が50万枚を越えるヒットに。 同年後半にはMTVによるHottest
MC
Top10で6位に抜擢、マライア・キャリーのシングル"Obsessed"のリミックスバージョンでフィーチャーされるなどポップス・フィールドからも注目され、次なるスター候補と目されている。
ファー・イースト・ムーヴメントは、日本と中国のミックスであるケヴ・ニッシュ(Kev
Nish / Kevin
Nishimura)、韓国系のプログレス(Prohgress)とJ・スプリフ(J-Splif)、そしてフィリピン系のDJ・ヴァーマン(DJ
Virman)のアジア系アメリカ人4人からなるヒップホップ・ユニット。 人気TVドラマCSI:マイアミ、CSI:ニューヨークや映画ワイルドスピードX3
TOKYO
DRIFTなどに楽曲提供し、サンダンス映画祭ではアジア人として初のパフォーマンスを行うなど世界的に注目が集まっている。
ペンシルベニア州ピッツバーグを拠点に高校卒業後の2005年にインディーズで活動を始めた彼は、2007年にメジャー契約する。そして、2010年秋にリリースしたシングル「BLACK
AND
YELLOW」がメガヒット。MTVが選ぶ、最もブレイクしたホットなラッパーに選出された注目株。また郷土愛を歌った内容がほかのラッパーたちを刺激し、Fablous、T-PAIN、Rick
Ross、Young
Jeezeyという数多くのラッパーがこぞって非公式なリミックスを発表するというムーブメントが起こる。そして日本デビューに際し、同じく「黒と黄」のチームカラーをもつ阪神タイガースと大阪を愛する日本のアーティスト、SHINGO★西成とBOXER
KID(MIGHTY JAM
ROCK)とコラボレーションをすることになった。アメリカを始め今大注目のアーティストである。
TimbalandプロデュースのAre
We Cuttin'などをヒットさせたサウス生え抜きのラッパー、Pastor
Troy。一時は歴史の教師を目指したこともあるというアトランタ出身のこの男、地元からの根強い支持をバックに、サウスシーンを支える活動を続けている。D.S.G.B.
(Down South Georgia Boyz)のメンバーとしても活動。アルバムSaddam
Hussein(実際リリースされたタイトルはTool
Muziqに変更)などでも話題になった。