最初の語り
OTAIRECORDようすけ管理人でございます。
DJに愛された、いや、生産完了になった今でも、愛され続けているターンテーブルSL-1200シリーズ。
DJ界に激震が走ったSL-1200生産完了のニュース。現実を受け止められなかった、そんな人も多かったはず。
そして今もなお、リペアをしたり、中古市場が活発化したりして、生き続けているのもSL-1200シリーズ。
もう既に生産が完了しているのに、多くのDJはSL-1200の夢を未だに見続けてその場を離れようとしない。
そんな魔法を作り出した人物にお話しを聴くことができた。
Technicsに在籍していた牛嶋氏は、時折思い出したりしながら、とても丁寧にお答え頂き、
そしてお誘い頂いたDJ $HIN氏、SHING02氏にもこの場を借りてお礼を申し上げます。
では皆さん是非ごゆっくりお楽しみください。
=オタレコようすけ管理人
=SHING02
=DJ $HIN
=牛嶋氏
「SL-1200インタビュー」
ではSL-1200などの話について実際に開発に携わった牛島氏にお話しを伺って行きましょう。まずその前に$HINさんとSHING02さんでSL-1200のアイコンを作られたという事でそのお話を聞かせてください。
SL1200のアイコンですが、細部に至るまで、極限全部、表現したっていう感じです。
一個一個のモデルからボタンから何から研究して作りました。
フォルダのアイコンとして使えるように、やったんですけど。
そのままSL-1800を作ってみたり。ワイルドスタイルって映画でこのターンテーブルが登場して、一世を風靡したんですよ、その当時。
なので映画とか見て勉強しつつ、作ったりしました。
結構ライトの光り方とかの細かいところまでこだわってやったんですよ。
アームにしても、一見すると同じなんですけど、こっちはメッキで、もう一方はちょっとマットな仕上がりといいますか。
意外といろんないいサイトがあるんですけれども、こういったキレイなアイコンのようなかたちで残っているデータベースまではあまりなかったので、今回作って無料で公開してるんです。
これをダウンロードできるように。あと、これを作ったのは資料として残るかなとも思ったんですね。
たとえば開発年とかにしても、79年とかなってるんですけど、これなんかもインターネットとかでは割と適当なことが書いてあったりとかするんですよ。
だから、そういうのを一度ここで統一して、ちゃんと残るもんを作っとければなと思って。SHING02と2人であーでもない、こーでもないゆうて。
「SL-1210」
ではSL-1200などの話について実際に開発に携わった牛島氏にお話しを伺って行きましょう。
ヨーロッパのほうのやつだけターンテーブルの品番がSL「1210」ってなってるじゃないですか。
あれは日本とヨーロッパで電圧が違うから、製品の型番も変えたっていうことなんですか。
そういうこと。
なるほど。1210に関しては今回触れてないので、シルバーだけなんかのかとか黒もあんのかとか、2人でいろいろ調べたんですよ。
1210もシルバーと黒と両方ありますね。だから、ヨーロッパはもう1210オンリーになってます。
電圧が違うっていうことは、SL-1210だと240ボルトなんですか。
いや、あれはマルチ電源になってるから220と240なのね。
イギリスは240、それ以外のヨーロッパは220ボルト。だから切り替えできるようにしてある。
あと、ヨーロッパ仕様のSLに無理やり変換用のアダプタつけて、アメリカで使ってる人もよくいたんですよ。
それは、ちょっと怖いな。
危ないんですか。
うん。電圧で言うとかなり厳しい仕様になってるからね。
SL-1210のモデルはMK2だけなんですか。
MK2だけです。
なぜ、MK3、MK5とかいって後継機を出さなかったんですか。
もうヨーロッパは1210だけでいいってなったからね。
知っての通り、SL-1200の国内モデルはたいだい3年4年経ったら、チェンジしていたね。
MK3、MK5、MK5Gって上がっていったっていうことなんですね。
車と一緒ですよね。
でも新しいリリースのたびにマイナーチェンジされて、いろいろアップデートされていくわけですからね。
値段据え置きで機能は良くなっていくわけだから、消費者としてはいい買い物ですよね。
まあ、そうなってくるよね。
販売台数が350万台でしたっけ?
そうやね。累計で350万台。
すごいなあ。牛嶋さんがテクニクスのチームに入りはったんはいつですか。
僕がテクニクスに入ったのは、1975年ぐらいかな。
75年ぐらい。ほな、SL-1200はその前に出てますから、その直後に入社したってことですか。
ちょうどSL-1200がアメリカで出されて、ちょっとブランクが落ちたんかな。
当時国内であんまり売れなかったんね。
でも、その後に国内でDJブームが沸き起こる頃にちょうど僕がテクニクス入ったんかな。
ほんでSL-1200から1200 MK2を出すからっていう話になって、その開発チームに参加しろということやったんですか。
そうだね。そうだったと思う。
例えば、SL-1800 MK2って、1200 MK2とアームのアセンブリがほとんど同じように見えるんですけど、それはどういうタイミングで、1200のアセンブリを他のモデルに入れることになったんですか。
テクニクスのプレーヤーのアームはS字タイプが基本なんですよ。
S字タイプは、レコードをかけたときに、レコードの外周と内周で音質のズレが1番小さい形状なんです。
それがベースになっていて、そこにアレンジを加えようと思ったら、型がある程度決まってくるんですね。
SL-2000とか昔のモデルになったら、インサイドフォースキャンセラーいうて、ロープで引っ張って振り子を調節するような機構もあったんね。
それが進化してきて、今はSL-1200だと後ろの方にちっちゃくて丸っこいウェイトが付いとって調節できるようになった。
実際にMK2に使ったアセンブリはSL-2000最後のモデルから変わってないですよね。
変わってないね。
完成度が素晴らしく高いんですよね。
自分もアメリカでは、できる範囲でよく修理をやっていたんです。
その中でアセンブリを解体することもよくありました。
アームの交換とか。
自分で解体してたから分かるんですが、ハウジングひとつにしても、本当に完璧にできていると思うんです。
ただ配線の部分だけは使い方次第ではちょっと危ないかもしれません。
だけどそれが本当にすごいなと思うんですよ。
それから、SL-1200のモデルが改良されていっても、アセンブリはずっと同じものが残ったわけじゃないですか。
つまり、改良の必要がないほど良かったっていうことなのかなあと。
あそこで部品を変えなかった1番大きな理由はね、元々SL-1200ゆうのは、ああいうクラブで使うようなものではなかったのね。
レコード演奏に使う家庭用のプレーヤーだったの。
つまり、普通に使う分にはそれなりの性能は持ってる、それをクラブでああいう使い方しちゃうということになると、あの使い勝手は残しつつ、もっと改良していく必要が出てくる。
感覚だけはそのままに、もっと性能を良くしないと。
そうです。
そうすると、例えばスクラッチをやったとして、古いモデルと同じ感覚でやれないと、ふとしたことで針が飛ぶっていうようなことが起こりよる。
だから、最初の感覚を残してやらないといかん。たとえ使ってる機材が変わっても、いつの時代でも、機材を使っているその感覚はずっと一緒じゃなきゃいかん。
そうなると、その感覚を維持するための部品がトーンアームなんですよ。
だからそれは変えずにおきましょうとなったわけです。
それが完成するまで、おそらく試行錯誤もされただろうし、結構大変なものだったんじゃないですか。
僕はちょっと聞いた話で詳しくは分からないんですけどね、アメリカまで行って色々と試行錯誤してたらしいですよ。
アメリカには何をしに行ったんですか。
それは、現地のクラブに行ってね。「どういう使い勝手がええねん」とか、必要な情報をいろいろと聞いてきて、それを持ち帰ってもっと改良を重ねた。
その結果としてこうやってモデルが改良されていったわけ。
日本の古いDJさんに聞いたらそれまではDENONとかのターンテーブル使ってた言うてましたね。
そうですかね。ダイレクトドライブ型のプレーヤーが出てからですよね。
ああいうスタイルの使い勝手がでてきたのはね。
ターンテーブルもすごい数が出てたしな。ダイレクトドライブだけでも。
SL-1200は特殊なんだよね。
あれは1990年代後半ぐらいから、家庭で音楽を聞くというよりもクラブで使われる数が圧倒的になった。
だから広まったんじゃないかな。
逆に、CDはCDでいくから、アナログとCDがうまいこと平行で共存共和してくれたらええねんけども、残念ながらもうCDならCDだけでやろうというような流れになった。
だから結局アナログプレーヤーは衰退していったんだけど、その中でもSL-1200はDJの使うプレーヤーとしてずっと残ってくれた。
SL-1600やSL-1800は、このSL-1200の派生的な感じで出てると。
ほんなら、例えば1600とか1800のほうがDJに受け入れられて使われてたんであれば、そっちが伸びてた可能性はあるってことですね。
可能性はありますね。
「SL1200MK1」
SL-1200は、MK1からMK2になったタイミングでフルモデルチェンジされたじゃないですか。
なぜ初めの形からガラッと変わったのですか。
最初のSL-1200、後継機も出てなくて当然MK1って言葉もなかったから、みんな「1200」ってゆうてたけどね。
初代の1200が出たときに、それでアメリカのクラブ行ってね、いろいろ話聞いた中で、ああいう形状になってきた。
どういう環境で使われるのかとかっていう実状を色々と知って。
ああいう音響の中で鳴らさなきゃあかんと。
そこで「じゃあハウリングはどないすんねん」とか、いろんな問題が出てきた。それを改善したモデルがMK2というわけ。
その1200は、誰があのかたちにしよう言うたんですか。
あのときはかたちを最終的に決めたのは当時の開発部長かな。
そのMK2が79年、MK1が71年とか72年とかなんですよね。
その間に7年ぐらいブランクがありますけど、MK1が出た直後からMK2の開発は始まってたんですか。
始まってないね。入社直後の頃に僕はその前はアンプチューナーの設計してたから。
そこで「新たに1200のMK2を作るから牛嶋さんも参加しなさい」っていう話やったんですね。
その当時、牛嶋さんはMK2のどういうところに携わりはったんですか。
あの頃は開発されたモデルをいかにうまく量産、流通させられるかっていうようなこと。
ちゃんとした性能のものを量産できるかどうか、そしてその性能を保証できるかどうか、そういうことを中心にやってましたね。
どこの工場で作れるかっていう手配とかから始めて。
主に日本でだったんですか。
あの頃は全部日本ですからね。
トーンアームなんかも、「どこぞのおばちゃんがたたいて作ってる」とか、「そのおばちゃんしかバランス出されへん」とかいうの、昔テレビで見ましたね。
アームのバランス取るっていうのは、実際そんなに難しいもんなんですか。
そうだね。
その決められた数値通りに、とかっていうことですか?
そういうんじゃないね。
あれは「ビスをどのくらい回したらどないなる」という感性でやるからね。
僕らがやっても時間かかるばっかりですわ。
牛嶋さんでも?
もちろんやってればできるようになるけど、1時間に1本や2本できたところで意味ないですやん。
1日に何百と作らなきゃいけなくて、そういう中でサッと仕上げてしまうんだから、それなりの技術として習得しなきゃいけない。
やっぱりそればっかりやってないとできへんですもんね。
ほんなら、すごいスキルを持ってはったんですね。
なるほど、今度はそのおばちゃん呼んでこなあかん(笑)。